労働契約法の復習 第5条
労働契約法第5条 使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。
○まず、労働安全衛生法の規定を考察します。
労働安全衛生法第1条 この法律は、労働基準法(昭和22年法律第49号)と相まって、労働災害の防止のための危害防止基準の確立、責任体制の明確化及び自主的活動の促進の措置を講ずる等その防止に関する総合的計画的な対策を促進することにより職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進することを目的とする。
労働安全衛生法は、元来労働基準法に規定されていた労働者の安全衛生に関する規定を独立させて立法したものです。労働者を使用し、就労させるからには、使用者側で労働者の就労時の安全衛生を確保すべきことは、労働契約(雇用契約)の中に当然に含まれると解されてきました。極端に言えば、就労に伴って重大な負傷や死亡の危険が明白に存するにも関わらず、使用者がその業務に労働者を就かせることはできませんし、その様な場合には労働者が就労を拒否しても、債務不履行には当たらないということです。
同法において、具体的には労働災害防止に関し、使用者に「責任体制の確立」「労働災害防止に関する総合的計画的な対策を促進する」ことを義務付け、さらには同法第4章(第20条~第36条)において、使用者が労働災害防止に関し具体的に取るべき措置を規定しています。また、規定別に罰則が設けられており、労働災害発生時に同法違反で書類送検された事件が数多く存在します。
○労働災害発生時の労働者への補償
労働災害発生時(業務災害及び通勤災害発生時)には、労働者災害補償保険法が適用され、被災労働者の請求により、療養や休業時の収入補償等を受けられることになっています。そこで、法体系別に労働者への補償を整理してみます。
①労働基準法 第8章(第75条~88条)
労働基準法には、労働者の災害補償を使用者に義務付ける規定があります。具体的な補償としては、「療養補償(治療費)第75条」「休業補償(収入補償)第76条」「障害補償(後遺障害手当)第77条」「遺族補償(死亡時の遺族への支払い)第79条」「葬祭料(労働者死亡時の葬儀費用)第80条」となっています。使用者の補償義務が免責されるのは、「労働者が重大な過失によって労働災害を発生させ且つ監督署の認定を受けた場合(第78条)」及び「同一の災害に関し、労災の給付があるときにはその限度において(第84条)労働基準法の補償が免除される場合」です。
②民法上の使用者の補償義務
労働災害が発生し、労働者が「負傷又は疾病に罹患若しくは死亡した場合」には、使用者は民法上の債務不履行または不法行為に該当することがあります。特に、労働災害が発生し、使用者に労働安全衛生法違反の事実があった場合には、使用者の不法行為は明らかとなります。この際の、労働基準法又は労働者災害補償保険法の給付と民法上の損害賠償請求の関係ですが、労働基準法第84条第2項に、労働基準法の補償を行った使用者は、その限りで民法上の損害賠償責任が免責される旨規定されています。従って、使用者が任意で支払わない限り、被災労働者が労働基準法上と民法上の補償が重複する部分を両方とも受けることはできません。
③労働契約法第5条の安全配慮義務規定の趣旨
前述の通り、労働災害発生時の被災労働者への補償は、労働基準法、労働者災害補償保険法、民法等により、従来から使用者にその賠償責任がある旨が明確にされて来ました。その上で、殊更使用者の安全配慮義務を労働契約法で規定した理由を考察してみると、使用者の労働者に対する「安全配慮義務」は、従前から契約上当然に存在する付帯事項と解されて来ましたから、それを同法でさらに明確にしたものです。
○労働契約法第5条の安全配慮義務違反による使用者の賠償
この使用者の安全配慮義務は、「陸上自衛隊事件」「川義事件」が有名ですが、その他にいくつかの裁判例で確認してみます。
ア 昭和55年(ワ)562 京都地裁判決 京和タクシー事件
事件の概要は、タクシー会社が雇入時の健康診断(労働安全衛生法施行規則第43条)を行ったところ、要精密検査の診断が出ていた労働者にその結果を伝えず、その結果入院を要する病状まで悪化したため使用者の責任をもとめたもの
判決は、使用者の責任を一部認め、使用者は採用後遅滞なく労働者に健康診断の結果を告知すべきであったとした
判決の理由は、被告会社(使用者)は労働安全衛生法、同規則により労働者に対する健康診断の実施が義務付けられており右健康診断の結果は、事業者が労働者を採用するかどうかを判断するうえの資料となるばかりでなく、採用後の労働者の健康を管理するための指針となり労働者自身もまた自己の健康管理を行ううえで重要な資料となるものであること、殊に労働者の健康状態が不良かまたはその疑いがある場合は採用後遅滞なく労働者に健康診断の結果を告知すべき義務があるとしています。
イ 昭和55年(ワ)667 神戸地裁判決 川西港運事件
事件の概要は、高血圧症の持病があるフォークリフトの運転手が作業中に脳内出血により死亡した事故で、使用者の安全配慮義務違反が争われたもの
判決は、会社は死亡した労働者が高血圧症で要治療状態であることを知っており、その症状を増悪させないよう、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等の措置を講じ、節酒を勧告するなど生活指導上の配慮をもすべきであった
判決理由は、一般に使用者は労働者に対して、報酬支払いの義務を負う他に、労働の場所・手段等を提供するに伴い、その一般的前提として労働が安全及び衛生の保自された状況の下で行われるように配慮する義務を負い、更には労働者の生命・健康を危険から保護すべき義務を負う。この安全配慮義務は、「労働安全衛生法等の法令に根拠を有する場合に限定されない」し、その具体的内容は当該労働環境や労働者個々の事情に応じて決せられるべきである・・・としています。
※この裁判(控訴)では、労働契約に付随する使用者の労働者に対する安全配慮義務は、労働安全衛生法や労働基準法等の法令に規定されている内容に限定されず、労働環境や労働者個々の事情に応じて、総合的に決まるものであるとしています。
ウ 昭和54年(ワ)683 神戸地裁判決 三菱造船事件
事件の概要は、造船所の元従業員、下請け従業員らが罹患した難聴は工場内の騒音によるものであるとして、会社に安全配慮義務の責任を求めたもの
判決は、請求の一部を認容し、会社に安全配慮義務があるとした
判決理由は、
a 労働契約又は雇傭契約において、使用者は労働者に対し、労務供給に伴って生ずる可能性のある危険から労働者の生命、健康を保護するよう配慮する一般的な義務を負うものと解されること
b 安全配慮義務は、使用者が労働者に労務提供を命ずる過程において、その供給場所、利用設備、労務内容等から労働者の生命、健康に対して危険が生ずる恐れのある場合には、労働者の生命、健康を保護するために、信義則上当然に発生する義務であること
c 安全配慮義務の根拠となる契約ないし法律関係は、労働契約又は雇傭契約に限られるものではなく、広く一般的に、一方当事者が労務を提供し、他方当事者が労務提供を受けるべき場所、施設もしくは使用器具等の設置管理を行い、あるいは直接指揮命令を与える等の方法により、当該労務を支配管理するような関係ある場合には、そのような法律関係にもとづき安全配慮が発生すること
d 安全配慮義務の内容は、一律に画定されるものではく、労務供給関係における労務の内容、就労場所、利用設備、利用器具及びそれらから生ずる危険の内容・程度によって具体的に決せられるべきものであること
e 労働契約では、労働者が自己の生命、身体の危険まで使用者に提供しているものではないこと
f 労働者は、自己の意思によって使用者と労働契約を締結した以上、使用者に対してみだりに損害をかけないという災害防止の第二次責任があり、自己に労災事故が生じた場合、第二次責任を問われてその損害につき過失相殺されるときもあるけれども、元来労働契約は継続して互いに遵守すべきものである関係上、労働者は、就労中にその職場にとどまっておれば事故にあるかもしれないことをうすうす予知し得ても、労働組合による団結権行使以外に個人的にはその職場から勝手に離脱したり、就労を拒否することができないから、危険への接近という法理によってはその損害を軽減されることがないものというべきである
g 以上の理論は、元請会社が下請け会社の従業員に対して直接に使用者責任を負う場合にも適うものである
※このように、元請会社の安全配慮義務を下請け会社の労働者へも拡大しています。
○安全配慮義務を有する使用者とは誰か?
労働保険の保険料の徴収等に関する法律第8条 厚生労働省令で定める事業(=建設業)が数次の請負によって行われる場合には、この法律の規定の適用については、その事業を一の事業とみなし、元請人のみを当該事業の事業主とする。
これは、労働保険(=労働者災害補償保険及び雇用保険)の適用関係の規定です。労働者災害補償保険の適用関係においては、数次の請負関係(建設事業)にある事業の場合は、元請人のみを事業主とみなしています。
労働安全衛生法第5条 二以上の建設業に属する事業の事業者が、一の場所において行われる当該事業の仕事を共同連帯して請け負った場合においては、厚生労働省令で定めるところにより。そのうちの一人を代表者として定め、これを都道府県労働局長に届け出なければならない。(中略)
第4項 第1項に規定する場合においては、当該事業を同項又は第二項の代表者のみの事業と、当該代表者のみを当該事業の事業者と、当該事業の仕事に従事する労働者を当該代表者のみが使用する労働者とそれぞれみなして、この法律を適用する。
建設業に限り、元請事業者のみを労働安全衛生法上の事業者とみなして、法を適用するとしています。従って、建設業では労働安全衛生法上の事業者としての義務は、元請事業者のみが負います。
まとめてみますと、労働契約法の安全配慮義務を負う使用者とは誰か?ですが、原則的には、会社等の雇い主が安全配慮義務を負います。ただし、個別の裁判例では、元請事業者(造船業)や施主まで安全配慮義務があるとしたものがあります。
○労働契約法の安全配慮義務違反の賠償範囲
労働災害が発生しても、過失がある加害者が居て且つ使用者に法令違反等や善管注意義務の欠如がなければ、被災労働者に対し、使用者が賠償義務を負わないと考えられます。または、被災労働者が単独で業務を行っており、安全管理等も会社の適切な安全管理規程に基づき、その労働者に任されている場合において、被災労働者の過失で労働災害が起きた際も同様です。しかし、労働契約法においては、「労務供給関係における労務の内容、就労場所、利用設備、利用器具及びそれらから生ずる危険の内容・程度」により使用者の安全配慮義務が生じる場合もあり得るとなっています。
労働契約法の安全配慮義務を踏まえ、可能な限りその対策を講じることが求められますが、これは使用者の無過失責任に近い概念であるとも言えるため、経営コストの高騰を招く恐れもあります。もっとも、合理的で効果的な安全配慮の方法は、教育訓練であると言えます。労働者個々の危険予知や危険防止の意識は、言うまでなく、適切な教育訓練によって造成されると考えます。
それでは、この続きは次回に・・・
第5条