採用内定、始期付労働契約
採用内定とは何か?
○労働契約の成立の時期と採用内定
労働契約法第3条では、「労働者が使用者に使用されて労働すること」「使用者が労働者の労働に対して賃金を支払うこと」について、労働者と使用者が合意した時点で労働契約が成立すると定義されていることを労働契約法の説明のところで記述しました。また、民法第623条の雇用契約の定義も同趣旨であることも記述しました。ところで、実際には、採用内定という言葉で採用通知がされていますし、採用の内々定という言葉も用いられています。そこで、採用時に紛争になった事例を裁判例で確認することで、採用の事実認定の実情を確認・考察したいと思います。
また、採用決定ではなく採用内定という言葉を多く使っているのは、「採用取り消しの可能性を含ませている」からにほかなりません。
○採用内定に関する裁判例
ア 昭和43年(ワ)4046 東京地裁判決 森尾電器事件 採用内定取り消し
事件の概要、高校未卒業を解除条件とする解雇権保留の労働契約が成立したケースで、別事由で採用内定取り消しをされ、その無効を争ったもの
判決は、解雇権の濫用であり解雇無効
判決の理由は、
a 被告会社が原告に発した「採用内定のお知らせ」は、その記載内容からして直ちに原告主張の如く原告の右申込に対する承諾の意思表示と認めることはできないが、被告会社は原告に対し採用試験の上、「採用決定のお知らせ」を発し、その後、原告が被告会社の求めに応じて所定の手続きに従い昭和42年2月2日日頃誓約書および身元保証書を被告会社に提出し、被告会社において異議なくこれを受領したことにより、被告会社の従業員の雇入れに関する就業規則所定の手続きは殆ど完了していること、被告会社の新規学卒者の採用に当つては、従来から前期のような手続が採られるだけであつて、その後に改めて契約書の作成もしくは採用辞令の交付などの手続が採られた慣例はないばかりか、就業規則上にもそのような手続の定がないこと、およびその後被告会社が原告の足立工高卒業直後から原告を実習生として被告会社の作業に従事せしめていることなどの事実に鑑みれば、被告会社が原告に対し誓約書および身元保証書の提出を求め、これを受領したことをもって、前示原告の申込に対する黙示の承諾の意思表示をなしたものと認めるのが相当である。したがつて、昭和42年2月2日頃、原被告間に労働契約が成立したものというべきである。
b ただ、前記誓約書の内容および右労働契約書提出当事原告がいまだ足立工高三年在学中であつた事実に照らせば、右労働契約は原告が同年三月に足立工高を卒業できないことを解除条件とするものと解すべきところ、原告が同年三月一一日足立工高を卒業したことは、前示のとおりである。
※卒業できないことを解除条件とする採用内定(解雇権留保付労働契約)が確定していたと認定しています。
c 以上の事実によれば、原告についてさしあたり配属が予定されていた組立職場の作業に関しては、小児麻痺後遺症の為作業能力が劣り又は将来発展の見込みがないものとはとうてい認めがたく、又被告会社の他の職場に関しても、その各作業内容を原告の前記身体の状況に照らして検討すると、未だ現場で作業者として不適格とはなし得ないものと認めることができうる。そうとすれば、仮に被告会社が昭和四二年三月二五当事その主張の如き事情から、その主張のような基準による人員整理をしなければならないような状況にあつたとしても、原告が右整理基準に該当するものとは即断しがたく、他に原告が右整理基準に該当するものであつたことを認めるに足る証拠はない。
d したがつて、被告会社がなした前記解雇の意思表示は、爾余(ジヨ)の点につき判断するまでもなく、解雇事由はなくしてされたものであつて解雇権の濫用として無効といわなければならない。
イ 昭和52年(オ)94 最高裁第二小法廷判決 大日本印刷事件
事件の概要は、グルーミーな印象であることを理由とする採用内定取消は、すでに解雇権を留保した労働契約が成立しているとして、解雇権濫用に該当を指摘した事件
※グルーミーとは、陰鬱なさま、陰気なさまのこと
判決は、解雇権の濫用に該当
判決の理由は、
a 本件採用内定通知のほかには労働契約締結のための特段の意思表示をすることが予定されていなかったことを考慮するとき、上告人からの募集(申込みの誘引)に対し、被上告人が応募したのは、労働契約の申込みであり、これに対する上告人からの採用内定通知は、申込みに対する承諾であって、被上告人の本件誓約書の提出とあいまって、これにより、被上告人と上告人との間に、被上告人の就労の始期を昭和44年大学卒業後とし、それまでの間、本件誓約書記載の5項目の採用内定取消事由に基づく解約権を留保した労働契約が成立したと解する。
※事前に、会社送付の労働契約書に署名・捺印をして返送することが手続き上のルールとされている場合には、その手続きの瑕疵(労働者の未提出)により、労働契約が不成立と判断される場合もありえます。しかし、署名捺印した労働契約書の提出を求めることは、労働契約の効力の発生要件ではありませんから、通常は採用通知書とともに送付した誓約書等に署名・捺印をしたうえで提出を求め、それに従って労働者が返送することが多いと思います。
本件では、採用を内定した労働者に採用通知書又は採用内定書を送付することで、労働者の労働契約の申込みに対する使用者側の労働契約締結の承諾と判断されるとしています。
また、採用内定とは「一定の要件に該当した場合に、労働契約を解除する旨の解除権を保留した労働契約の成立」と判断しています。
b 採用内定の取消事由は、採用内定当事知ることができず、また知ることが期待できないような事実であって、これを理由として採用内定を取消すことが解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認することができるものに限られると解するのが相当である。
c これを本件についてみると、原審の適法に確定した事実関係によれば、本件採用内定取消事由の中心をなすものは、「被上告人はグルーミーな印象なので当初から不適格と思われたが、それを打ち消す材料が出るかも知れないので採用内定としておいたところ、そのような材料が出なかった。」というのであるが、グルーミーな印象であることは当初からわかっていたことであるから、上告人としてはその段階で調査を尽くせば、従業員としての適格性の有無を判断することができたのに、不適格と思いながら採用を内定し、その後右不適格性を打ち消す材料が出なかったので内定を取り消すということは、解雇権留保の趣旨、目的に照らして社会通念上相当として是認することができず、解約権の濫用というべきであり、右のような事由をもって、本件誓約書の確認事項二、(5)所定の解約事由にあたるとすることはできないものというべきである。
ウ 昭和54年(オ)580 最高裁第二小法廷判決 電電公社近畿電通局採用内定取消事件
事件の概要は、採用取り消しを受けた求職者がその無効と地位確認を求めたもの
判決は、解約権の行使は有効とした
判決の理由は、
a 被上告人から上告人に交付された本件採用通知には、採用の日、配置先、採用職種及び身分を具体的に明示しており、右採用通知のほかには労働契約締結のための特段の意思表示をすることが予定されていなかったと解することができるから、上告人が被上告人からの社員公募に応募したのは、労働契約の申込みであり、これに対する被上告人からの右採用通知は、右申込みに対する承諾であって、これにより、上告人と被上告人との間に、いわゆる採用内定の一態様として、労働契約の効力発生の始期を右採用通知に明示された昭和45年4月1日とする労働契約が成立したと解するのが相当である。
※採用内定について、以下に整理します。
・採用内定とは、解約権留保付の労働契約の成立であること。また、解約権行使の要件には、一般に「卒業できなかったこと」「労働者が提出した履歴書の記載内容及び面接等における経歴の詐称その他採用決定を左右する重大な虚偽の記載等があったこと」「労働契約の始期までの間に重大な非違行為があったこと」等であること。
・採用内定があったと認定される事実としては、労働者の応募に対し選考試験、面接等の手続きを経て、郵送などで「採用内定(決定)通知」を労働者に交付し、所定の誓約書の提出を求め、その誓約書を受領した(返送を受けた)こと。
b 被上告人において本件採用の取消しをしたのは、上告人が反戦青年委員会に所属し、その指導的地位にある者の行動として、大阪市公安委員会条例等違反の現行犯として逮捕され、起訴猶予処分を受ける程度の違法行為をしたことが判明したためであって、被上告人において右のような違法行為を積極的に敢行した上告人を見習社員として雇用することは相当でなく、被上告人が上告人を見習社員の趣旨、目的に照らして社会通念上相当として是認することができるから、解約権の行使は有効と解すべきである。
○始期付労働契約の意味と内容
始期付労働契約とは、契約締結日から契約の効力が発生する日までの間に一定の期間がある契約を言います。上記の裁判例で考えると、採用内定(決定)通知が労働者の手元に到着した日が契約締結日であり、例えば採用日として「定期採用であれば会社の新年度開始日」、「中途採用であれば、出社日等の将来の特定の日」が記載されている筈ですから、その日が契約の効力発生日(始期)となります。別の契約の例では、アパートを借りる際には仲介の不動産会社に赴いて事前に契約書を取り交し、敷金等を支払って契約をしますが、実際に契約の効力が発生するのは、契約書に契約期間として記載されている、翌月の初日から1年間(具体的には、平成27年5月1日から平成28年4月30日等と記載)が契約の効力が発生する日(期間)です。そこで何らの特約もない場合、平成27年5月1日までは、契約者の借り手には契約上の権利が発生しないこととなります。
これを、労働契約についてみると、契約の始期の到来まで(入社日前)は、採用された労働者は労務の提供義務はなく、使用者は賃金の支払い義務がなく、労働者は労働基準法の保護を原則受ける立場になく、労働者は社員食堂の利用その他会社の福利厚生を利用する立場になく、使用者も労働者の安全配慮等をする義務はなく、労働者は唯一入社日までにしなければならないと会社から指示があった事項(誓約書の提出や必要な書類の用意など)を履行する義務があるのみです。ただし、解雇予告制度については、労働契約の始期前であっても適用を受ける(裁判事例)とされています。さらに、使用者の理由無き労働契約の解除は無効とされますし、リーマンショック直後においては、理由無き内定取消により労働者が損害賠償請求を行う事案も発生しています。
使用者が、採用内定を「単なる採用の仮決定」と認識している恐れもありますが、以上のとおり採用内定の通知により既に労働契約が成立したと解することが通常です。
○入社日前研修の問題
入社予定日の前に、事前に一定の研修を行うことがママあります。この入社前研修をそのまま本来の労働契約の始期の前倒しとみることは、ただちにできません。あくまで、ケース・バイ・ケースとしか言いようがありませんが、入社前研修開始日が本来の労働契約の始期とされる場合もありますし、入社前研修は別の労働条件の有期労働契約と判断される場合もあると思われます。
いずれにしても、入社前研修期間を無給とするなどは論外であり、本契約の前倒しであっても或いは別の有期労働契約であっても、研修の受講が義務付けられたり、又は研修不参加の場合に待遇面で不利益を受ける場合には、その研修時間は労働時間すなわち労働契約が成立している期間です。
なお、入社日後の試用期間について言えば、「試用期間満了後本採用までは、解雇権留保付の期間」とされています。
それでは、次回は「休職」について記述します。