NHKの番組で、今般の安保法案に関する番組を放送していました。

2015年09月21日 12:09

NHKの番組で、安全保障に関する番組を行っていました。

内容     ※⇒以下は、自著です。私が、正論を記述しています。

1.日本を取り巻く安全保障環境が変化して、今般の関連法案の成立が必要であった。

(政府の立法事実の説明と同趣旨)。

2.立憲主義についての国民の関心が高まった。

⇒立憲主義とは、国民個々(元最高裁長官や憲法学者や元内閣法制局長官を含め)の各々の憲法に関する解釈で、他者(例えば現政府や与党)の行為を違憲無効と主張することではない。また、政府の憲法の規定に関する見解の変更を以って、立憲主義の否定であると批判することでもない。立憲主義とは、唯一憲法に関する適合性を決定する権限を有する裁判所(最高裁判所)の憲法に関する判断を尊重し、以って憲法を擁護することをいう。また、憲法を改正すべきという主張を持った者(公務員等)が憲法第九十九条の憲法擁護の規定に反するわけでもない。すなわち、「護憲」とは憲法の改正を一切しないということではなく、最終的に裁判所が示した憲法の趣旨(解釈)を犯さないということである。なぜなら、そもそも憲法第九十六条において、憲法の改正に関する規定がおかれ、その制定時からすでに将来の憲法改正を予定しているからである。

3.立法事実の説明で、政府はホルムズ海峡の機雷掃海や邦人を輸送する米艦警備の必要性を当初訴えたが、のちに答弁が変わった。従って、立法事実の存在が曖昧である。

⇒これは、誤報道である。立法事実は、日本を取り巻く安全保障環境の変化、切れ目のない国防体制の構築の必要性、PKO任務に付随するPKO実施地域近隣での邦人警護の必要性等である。米艦警護の必要性は、邦人輸送時に限らないと答弁を変更したが、その必要性はすでにミサイル防衛の事例でも記述した。

4.法案成立前後の国会議事堂周辺等の法案反対デモ等について、その意義や民意について、政府や与党はそれらの法案反対者の意見を斟酌したか否か。

⇒過日記述したが、デモや実力行使(もしくは軍事力)で国の政策を決定する方法は、一般に「革命」と呼ばれる政治手法で、議会制民主主義の手法をまっこうから否定する政治手法と言える。

5.違憲裁判については、最高裁は統治論や原告の利益の有無により、判断をしない可能性がある。

⇒今般の法律に反対する立場の者は、裁判所に提訴の上、集団的自衛権が違憲である旨の理由を明確に示し、また、原告の利益を本法(自衛隊関連の既存法の改正及び新法)により侵害され、法益の保護の必要があることをきちんと裁判で主張し、「集団的自衛権が違憲であり、本法が無効であるという」裁判所の判断を示してもらう必要がある。そして、最終的には最高裁判所の集団的自衛権違憲の判断を勝ち取る必要がある。立憲主義の立場上、憲法適合判断権が最終的に最高裁判所にあると規定されていることを踏まえ、憲法学者、元最高裁判所、元内閣法制局長官らが、違憲であるという主張を行っていることを本法が違憲無効であるとの主張の根拠にすべきでない。なぜなら、それは憲法の規定を軽視している主張であるからである。 

6.今般の法案は多くの法の改正と新法という構成になっており、国民の理解がすすまない要因となっている。

⇒軍隊のルールは、一般にネガティブリストと呼ばれ、禁止される行為を規定している。従って、必要があれば、司令官等の命令により禁止行為以外のあらゆる措置をとれることとなる。他方、自衛隊のルール(ポジティブ・リスト)は、その生い立ちが警察に準じる組織であったため、行える行動を原則的に法律で決めてある。つまり、自衛隊の対処行動の理由となる事態や総理大臣が対処行動を命ずるための要件、その他国会の承認等、自衛隊の行動を縛る内容となっている。そのため、その原因となる事態の定義や対処行動の開始までの手続、対処行動中に出来ることを法律で定める必要があるため、その対処の趣旨・用語の定義を含め非常に難解・複雑なものとなっている。従って、防衛省・外務省の担当者や自衛隊の担当者、法案を仕上げた与党の担当者などの一部の専門家以外の者は、国会議員であっても本法律を深く理解するには相当の時間が必要となる。つまり、TV・新聞などの断片的な報道では、一般国民が本法の内容を熟知することは、非常に困難であるといえる。マスコミや野党はそれを以って、本法の成立は更に審議を経てた上でなければならないと主張するが、南極が半永久的に寒いように、本法が難解であることは今後も変わらないのである。

 以上、放送内容の一部とその説明を記述しました。

 

砂川事件判決後に、長沼ナイキ訴訟という事件があり、札幌高裁で憲法判断を行っています。

長沼ナイキ訴訟:長沼ナイキ訴訟 札幌高裁.pdf (673182)

その判決の趣旨を以下に記述します。砂川事件判決の判旨を踏襲していることがわかります。

1.平和的生存権と法律上の利益

 憲法前文は、その形式上憲法典の一部であつて、その内容は主権の所在、政体の形態並びに国政の運用に関する平和主義、自由主義、人権尊重主義等を定めているのであるから、法的性質を有するものといわなければならない。ところで、前文第一項は、憲法制定の目的が平和主義の達成と自由の確保にあることを表明し、わが国の主権の所在が国民にあり、主権を有する日本国民が日本国憲法を確定するものであること及びわが国が国政の基本型態として代表制民主制をとることを規定しているところ、国民主権主義を基礎づける右民主権の存在の宣明は同時に憲法制定の根拠が国民の意思に依拠するものであることを具体的に確定し、また、国政の基本原理である民主主義から基礎づけられた統治組織に関する型態としての代表民主制度については同項でこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する旨規定しているところから、右はいずれも一定の制度として確定され、その法的拘束力は絶対的なものであるといわなければならないものであるが、国政の運用に関する主義原則は、規定の内容たる事項の性質として、また規定の形式の相違において、その法的性質には右と異なるものがあるといわなければならない。前文第二項は、平和主義の原則について、第一項において憲法制定の動機として表明した、諸国民との協和による成果と自由のもたらす恵沢の確保及び戦争の惨禍の積極的回避の決意を、総じて日本国民の平和への希求であると観念し、これを第一段では日本国民の安全と生存の保持、第二段では専制と隷従、圧迫と偏狭の除去、第三段では恐怖と欠乏からの解放という各視点から、より多角的にとらえて平和の実現を志向することを明らかにし、更に前文第三項は、日本国民としての右平和への希求を政治道徳の面から国の対外的施策にも生かすべきことを規定しているもので、これにより憲法は、自由、基本的人権尊重、国際協調を含む平和をわが国の政治における指導理念とし、国政の方針としているものということができる。したがつて、右第二、第三項の規定は、これら政治方針がわが国の政治の運営を目的的に規制するという意味では法的効力を有するといい得るにしても、国民主権代表制民主制と異なり、理念としての平和の内容については、これを具体的かつ特定的に規定しているわけではなく、前記第二、第三項を受けるとみられる第四項の規定に照しても、右平和は崇高な理念ないし目的としての概念にとどまるものであることが明らかであつて、前文中に定める「平和のうちに生存する権利」も裁判規範として、なんら現実的、個別的内容をもつものとして具体化されているものではないというほかないものである。また、被控訴人は、右のいわゆる平和的生存権は、憲法第九条及び同法第三章の規定に具体化されているとも主張するのであるが、同法第九条は前文における平和主義の原則を受けて規定されたものであるとはいえ、同条第一項は国際紛争解決手段としての戦争、武力による威嚇、武力行使を国家の権能のうちからこれを除外すると定め、国家機関に対し、間接的に当該行為の禁止を命じた規定であり、同条第二項はわが国の交戦権に関する権利主張を自ら否定するとともに、陸海空軍その他の戦力を保持しないと宣言して、国家機関に対し、かかる戦力の保持禁止を命じているものと解すべきである。しかりとすれば、憲法第九条は、前文における平和原則に比し平和達成のためより具体的に禁止事項を列挙してはいるが、なお、国家機関に対する行為の一般禁止命令であり、その保護法益は一般国民に対する公益というほかなく、同条規により特定の国民の特定利益保護が具体的に配慮されているものとは解し難いところである。したがつて仮に具体的な立法又は行政処分による事実上の影響として、個人に対し、何らかの不利益が生じたとしても、それは、右条規により個々人に与えられた利益の喪失とはいい得ないものといわなければならない。また、憲法第三章各条には国民の権利義務につき、とくに平和主義の原則を具体化したと解すべき条規はないから、被控訴人らの主張はこの点においても理由がない。
 
※防衛力の強化により、ナイキ・ミサイルが設置され、他国の攻撃目標になることで「憲法に規定される平和のうちに生存する権利」が侵害されるというが、憲法前文には裁判規範がなく、また、政府の措置(用地を転用して航空自衛隊がナイキ・ミサイルを配備すること)により、国民の公益が生まれるから、その一般国民の公益が優先される。
 今般の安保関連法案の成立により、「多くの国民の安全な暮らしが、より一層堅固に守られることが予測される」とすれば、複数の国民がアメリカの戦争に巻き込まれるとして不安を覚えるとしても、他の多くの国民の公益が優先されると示唆しているものと判断できる。
 
2.自衛隊違憲の主張について
  本件における憲法上の争点
 被控訴人らは、本件訴訟において、本件保安林指定解除処分は自衛隊ミサイル基地設置を目的としてなされたものであるところ、右基地、自衛隊並びにその根拠法規である自衛隊法は、憲法第九条第二項、憲法前文、なかでもその平和のうちに生存する権利、その他憲法第三章の人権保障規定ないし憲法全体を貫ぬく精神に違反する違憲の存在であるから、右解除処分は、その目的上、憲法に直接違反する無効のものであり、また違憲の存在である以上ミサイル基地設置は森林法第二六条第二項に解除要件として定めた「公益上の理由」に当らず、違法であり、取消しを免れないものと主張している。
 ちなみに、自衛隊法は、第三条により自衛隊の主任務がわが国の独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することにあるとし、右目的のもとに、第二章では自衛隊の指揮監督を、第三章ではその部隊の組織、編成を定めているほか、第七六条、第八七条、第八八条では自衛隊が、その任務の遂行に必要な武器を保有し、外部からの武力攻撃に際しわが国を防衛するため必要があると認められる場合には、出動して武力を行使することができることを規定している。そして右自衛隊法に基づき現に自衛隊が、国家機関の組織として編成され、前示の目的のため武器を保有しているものであり、本件ミサイル基地設置はその運営の一環として計画されたものであること、並びに本件解除処分が右基地設置の目的でなされたものであることは当事者間に争いがない。
 憲法第八一条の解釈
 憲法第八一条は、一切の法律、命令、規則、処分につき、裁判所が違憲審査権を有する旨規定している。したがつて、右規定をみる限り、裁判所は具体的事件において、これら法令、処分の憲法適合性が争われる場合には、これを判断する権限があると同時に、判断する義務もあるというべきである。ところで、わが憲法における三権分立の原則は、国権の三作用のうち、立法はこれを国会に、行政はこれを内閣に、司法はこれを裁判所に、それぞれ分属行使せしめ、国権が単一の機関によつて専断行使される弊害を避け、各機関における国家意思がそれぞれの機関において独立に決定されるものとしつつ、他方、三機関の相互の抑制のもとに一機関における権力行使の逸脱を防ぎ、調和ある国政の統一を図る政治組織を構成しているものというべきである。しかして右のうち立法権及び行政権は、本来的にはそれぞれその固有の権能を通じてわが国の政治的運営方針を、その実現のための方策を含めて選択し、これを国家意思として定立もしくは実現する作用を営むものであるから、右各機関の行為は、本質的には、妥当性を指向した合目的的裁量行為たる性質を有する政治行為であるといわなければならず、わが憲法下においては、行政府の長たる内閣総理大臣は国会議員たる資格のもとに国会によつて指名され、内閣はその行政機能につき国民の代表者をもつて構成する国会に対し連帯してその責任を負い、立法府たる国会は、立法機能を含め、直接国民に対しその政治責任を負い、選挙を通じて国民の批判を受けるものである。これに対し司法権は、各個独立して国家作用を行う個々の裁判所が、立法府、行政府によつて選択された法、具体化された処分、その他生活事実等に所与のものとし、その法適合性の判断を高権的になす機能を果すものであつて、本質的には個別的確認的判断作用を行うにとどまるものであり、これを超え、国民に対し政治責任を負う各機関に代つて、より妥当性ある結果を実現する国の統一的政策決定をなす作用を営むものではないといわなければならない。そうすると、司法部門と他の二機関の機能の本質的相違からして、司法権の他機関の機能に対する介入、抑制も、右機関鼎立の趣旨を実質的に否定するものであつてはならず、また事項によつては、司法的抑制に親しまず、これを行うべき本来の機関の専属的判断を尊重すべき場合を生ずることを承認しなければならない。特に、立法、行政にかかる国家行為の中には、国の機構、組織、並びに対外関係を含む国の運営の基本に属する国政上の本質的事項に関する行為もあるのであつて、この種の行為は、国の存立維持に直接影響を生じ、最も妥当な政策を採用するには高度の政治封断を要するもので、その政策は統一的意思として単一に確定さるべき性質のものである。したがつてかかる本質的国家行為は、司法部門における個々的法判断をなすに適せず、当該行為を選択することをその政治責任として負わされている所管の機関にこれを専決行使せしめ、その当否については終局的には主権を有する国民の政治的判断に問うことが、三権分立の原則及びこれを支える憲法上の原理である国民主権主義に副うものであると考えられる。すなわち、憲法は、一方において裁判所に違憲審査権を与え、立法、行政に対する司法の優位を認めるが、同時に三権分立を国家作用に関する国の制度としているものであるから、この両者を統一的に考えるとすれば、司法の優位は三権分立の基本原理を侵さない限度において認められる相対的優位のものと理解するほかなく、前示のような高度の政治性を有する国家行為については、統治行為として第一次的には本来その選択行使を信託されている立法部門ないし行政部門の判断に従い終局的には主権者である国民自らの政治的批判に委ねらるべく、この種の行為については、たとえ司法部門の本来的職責である法的判断が可能なものであり、かつてれが前提問題であつても、司法審査権の範囲外にあることが予定されているものというべきである(最高裁昭和三五年六月八日大法廷判決参照)。
 ところで司法判断は、法令を大前提とし、一定の対象事項を小前提としてその適合性の判断をなすものであるが、統治行為が司法審査権の範囲外にあるという場合、一般的には小前提たる対象事項がいわゆる統治事項に当るものとして考えられていると解されるのであつて、大前提たる法規解釈の問題としてとらえられているのではない。しかし、小前提に適用さるべき大前提たる憲法その他の法令の解釈行為についても、なお右と同様の問題が考慮されなければならないはずである。けだし、裁判所は、大前提たるべき法規については、自らこれを解釈適用する本来の職責を有するものではあるが、当該法規が統治事項を規定しながら、その規定の意味内容が客観的には必ずしも一義的に明瞭でなく、一応合理的反対解釈が成立し得る余地のある場合において、各裁判所がそれぞれこれに解釈を与えるということは、その選択そのものが、事柄の性質上、政治部門が行うべき高度に政治的な裁量的判断と表裏する判断をなすこととなるのみならず、その解釈の相違の結果生ずる対社会的、政治的混乱の影響は広範かつ重大であることが避けられず、これを解釈する場合の問題は、小前提たる統治行為が司法判断の対象となり得るか否かを検討した場合の問題と本質的には異なるところはないと解されるからである。もつとも、純粋な意味で統治行為の理論を徹底させ、これについてはおよそ司法審査の対象にならないとするときは、立法、行政機関の専権行為については、明白に憲法その他の法令に違反するものであつても、裁判所がこれを抑制できないことになるが、それはまた、他面において三権分立の原理に反することになるといわなければならず、憲法第九八条の規定からも、右結論を是認することはできない。したがつて、立法、行政機関の行為が一見極めて明白に違憲、違法の場合には、右行為の属性を問わず、裁判所の司法審査権が排除されているものではないと解すべきである。けだし、大前提たるべき条規の定めるところが客観的、一義的に明確である場合には、それが統治事項に関する規定であつても、その一義性、明確性にかんがみ、たとえこれにより如何に国民に対し政治的、社会的に重大な結果を招来することがあろうとも、他の政治的、社会的意義に優先して当該事項の選択を是とする見地から、規範として定立されたものと考えることができるのであり、したがつてこの場合には、右条規を大前提たる判断基準となし得るものと解するのが相当であり、もし小前提たる法規ないし処分が一義的に明確なものである場合には、それが統治事項に関するものであつてもなおこれを司法判断の対象になし得るものと解すべきであるからである。結局憲法第八一条は、前記統治行為の属性を有する国家行為については原則として司法審査権の範囲外にあるが、前記の如く大前提、小前提ともに一義的なものと評価され得て一見極めて明白に違憲、違法と認められる場合には、裁判所はこの旨の判断をなし得るものであることを制度として認める規定であると解するのが相当である。
 
※砂川事件判決でも、判決文に同旨の記述がある。
 
3.自衛隊の設置等と統治行為
 防衛庁設置法並びに自衛隊法第三条、第八七条、第八八条等の規定を含む同法の制定は国会の立法行為によるものであり、これに基づく自衛隊の設置、運営は内閣の行政行為によるものである。したがつて右自衛隊法及び自衛隊の存在の憲法第九条適合性を判断するに当つては、その立法行為及び行政行為が右に検討した司法審査の対象となる国家行為であるか否かがここで検討されなければならない。ところで、防衛庁設置法、自衛隊法の各規定及び上段判示の諸事実に照せば、右立法行為及び行政行為はいずれも、他国からの直接、間接の武力攻撃に際し、わが国を防衛するため、国の組織として自衛隊を設け、武力を保持し、これを対外的に行使することを認める内容をもつ国防に関する国家政策の実現行為であり、自衛隊は通常の概念によれば軍隊ということができるが、仮に、いつたん他国からの侵略行為が生じた場合は、事柄の性質上、直ちに、国家、国民の存亡にかかわる事態の惹起されることが十分予想され、わが国が他国の武力侵略に対し如何なる防衛姿勢をとるかは極めて緊要な問題であるのみならず、その政策の採否及び効果は、平時、緊急時を問わず、国内における政治、経済、文化、思想、外交その他諸般の事情に深くかかわり合いを持ち、かつその選択は、高度の専門技術的判断とともに、高度の政治判断を要する最も基本的な国の政策決定にほかならない。したがつて、右政策決定を組成する前記立法行為及び行政行為は、正に統治事項に関する行為であつて、一見極めて明白に違憲、違法と認められるものでない限り、司法審査の対象ではないといわなければならないものである。
 
※自衛隊の設置は、行政府の行為であり、またその根拠法を定めた国会の行為である。従って、「一見極めて明白に違憲、違法と認められるものでない限り」司法審査の対象外である。
 
4.憲法第九条の解釈
 わが憲法は、第九条第一項において国際紛争解決の手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄し、同条第二項において右目的を達成するため陸海空軍その他の戦力を保持しないと定めたことにより、侵略のための陸海空軍その他の戦力の保持を禁じていることは一見明白である。しかし、憲法第九条第二項の解釈については、自衛のための軍隊その他の戦力の保持が禁じられているか否かにつき積極、消極の両説がある。
 まず、積極説の論旨を要約すれば、次のとおりである。すなわち、憲法第九条は、その文言の形式的な表現にとどまらず、前文を含む憲法全体に貫ぬかれている平和主義国際協調主義の理想追求の精神、憲法制定当時における事情、憲法提案者たる政府当局者の立法趣旨説明、政府の行為により戦争の惨禍を避けるための現実的方策等を十分に考慮して検討すれば、第一項において自衛のための戦争等を放棄していないとしても、第二項は、憲法前文の精神を受けて「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する」目的を達成するため、およそ「陸、海、空軍その他の戦力」の不保持を規定したものと解すべきで、この規定は、憲法前文第一項において「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることがないように決意」し、第二項において日本国民は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を維持しようと決意した」ことに照応するものである。まして同条第二項後段が「交戦権一を否認している以上、自衛のための戦争も遂行することは不可能であり、自衛戦争のための軍備も不要で、自衛権の存在は戦力保持を根拠づけない。したがつて、右戦力不保持の規定は、例外を許さない絶対的禁止規定と解するほか他に解する余地のたいことは明白であるというのである。しかして、被控訴人らの主張する憲法第九条第二項の解釈も、要するに右のような積極説の立場に立つものである。
 これに対し、消極説の論旨は、要約すれば次のとおりである。すなわち、憲法第九条第一項は、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使を、文言上明らかに国際紛争解決手段として行われる場合に限定して放棄しているもので、他国から急迫不正の攻撃や侵入を受ける場合に自国を防衛する自衛権行使の場合についてまで右戦争等を放棄しているものとは解されない。なるほどわが憲法は、国の在り方として平和主義、国際協調主義をその原則としていることは明らかである。しかしわが憲法は、主権を有する日本国民が、その意思によつて形成する国の組織形態及びその基本的運営の在り方を確定した国の最高法規であつて、国としての理想を掲げ、国民の権利を保障し、その実現に努力すべきことを定めているものであるから、わが国の存在基盤をなす領土等が保全され、主権が侵害されることなく維持されることをその前提としているものといわなければならない。したがつて、もし国の存在が失われるならば、主権は否定され、憲法はその理想を実現することはもちろん、国民の人権保障さえ不可能となるのであるから、国の存立維持を図ることは憲法の基本的立場である。憲法の平和主義、国際協調主義も、わが国が戦争等を開始し自ら平和を破ることはないとする生存の姿勢を示したものであり、わが国が他国から武力侵略を受け、滅亡の危機に際してまで無抵抗を貫ぬくものとして平和主義を定めたものと解することはできず、したがつて、実力による抵抗は当然予想されているもので、憲法第九条第一項において他国からの急迫不正な攻撃や侵入に抵抗する自衛のための戦争等は放棄されていないと解することは、むしろ憲法の精神に副うものである。ところで同条第二項前段は、戦争等の不保持については、「前項の目的を達するため」と規定している。そして右の文言は、憲法制定議会における審議中、同条第一項における戦争等の放棄条項中に「国際紛争を解決するための手段としては」という限定文言の存在することを前提に挿入された経緯があり、これを考慮しつつ同条第一項、第二項を比照すれば、「前項の目的」とは、第一項全体の趣旨を受けるものと解するのが相当であつて、第二項において不保持を定めた陸、海、空軍その他の戦力は、国際紛争を解決する手段として行われる戦争遂行戦力のみと解すべきであつて、かく解することが、同法第六六条第二項において国務大臣を文民に限定した規定の趣旨に照応するものである。また同条第二項後段において否認されている「交戦権」の解釈については、これを「戦争をなす権利」と解するものと、「国際法上認められている交戦国の権利」と解する説があるが、前者と解するならば第一項において規定した戦争等の放棄と同一事項に関する規定を第二項の後段に位置せしめて反覆したことになり不自然であつて、むしろ第二項前段において戦闘手段たる戦力等の不保持を定めたことに続けて位置せしめていることからすれば戦争の過程における戦闘に伴う個別的加害行為を認容される国際法上の交戦国の権利を定めたものと解することが規定の位置からも素直な解釈というべきである。そして証、同条第二項後段において否認した「交戦権」が前示の国際人上の権利であり「戦争をなす権利」の否認でないとすれば戦争の本質的現象である相手国兵力に対する戦闘行為そのものは否認の対象とはならず、第一項において自衛のための戦争が放棄されていない以上、前示交戦権が否認されたからといつて自衛のための戦闘遂行が不可能になるものではない。したがつて、自衛のための必要最小限度のものについては、憲法第九条第二項前段における「陸、海、空軍その他の戦力」には当らないというのである。しかして控訴人の憲法第九条第二項の解釈も、要するに右のような消極説の立場に立つものである。
 ところで、双方の各論旨をみると、積極説はその解釈において、わが憲法は、採用した平和主義、国際協調主義による平和を生存をかけて実現すべき理想とし、かつ現在の国際社会の情勢上もそれが可能であるとの見解を基盤とするものであり、消極説は、わが憲法は平和主義の理想を尊重すべきことを命じてはいるが、現実の国際社会において、急迫不正の侵害の危険性は現存し、その際における自救行為はこれを当然の前提としているとの見解を基盤として立論するものである。そして、わが憲法が右のいずれの見解に立脚して設けられているものであるかは、必ずしも明瞭とはいえず、各論旨はいずれもそれなりに一応の合理性を有するものといわなければならないから、結局自衛のための戦力の保持に関する憲法第九条第二項前段は、一義的に明確な規定と解することができないものといわなければならない。
 
※憲法第九条第二項前段(前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。)は、不明確な規定であり、自衛隊の存在が合憲とも違憲ともよめる。しかし、砂川事件判決で、日本国が自衛権を有することが明確にされており、2015年の今日、憲法学者等はともかく、多くの一般の国民は「自衛隊の存在」を認知しているところである。言い換えると、今日多くの日本国民は、自衛隊を合憲であると判断していると考えることができる。
 つまり、自衛隊の存在が違憲であるか否かは裁判所の司法審査の対象外であるが、今日主権者である多くの日本国民が自衛隊を合憲であると判断しており、裁判所もその国民の判断に従うことが正しいと考える。
そして、最高裁判所が自衛隊の違憲判決を出せば、自衛隊の装備の無効性、自衛官の身分の消滅、自衛官への給与支払の根拠の消滅等々、といった効果が生じることは、言うまでもない。
 
5.自衛隊の存在等と司法判断
 そこで右の点を検討してみると、自衛隊法が自衛隊の主たる任務をわが国の防衛に置き、このために自衛隊としての一定の組織、編成を定め、かつ武器を保有し、これらを対外的に行使することを予定し、また現実に自衛隊が右自衛隊法に基づき同法所定の組織、編成のもとに武器を保有しているものであること前記一のとおりであるから、その設定された目的の限りではもつぱら自衛のためであることが明らかである。そして自衛隊法で予定された自衛隊の組織、編成、装備、あるいは現実にある自衛隊の組織、編成、装備が、侵略戦争のためのものであるか否かは、掲げられた右目的だけから判断すべきものではなく、客観的にわが国の戦争遂行能力が他の諸国との対比において明らかに侵略に足る程度に至つているものであるか否かによつて判断すべきであるところ、戦争遂行能力の比較は、その国の軍備ないし戦力を構成する個々の組織、編成、装備のみならず、その経済力、地理的条件、他の諸国の戦争遂行能力等各種要素を将来の展望を含め、広く、高度の専門技術的見地から相関的に検討評価しなければならないものであり、右評価は現状において客観的、一義的に確定しているものとはいえないから、一見極めて明白に侵略的なものであるとはいい得ないといわなければならない。
 
※自衛隊の存在は、裁判所の審査の対象にならないけれども、自衛隊の装備・能力等は「一見極めて明白に侵略的なものであるとはいい得ない」から、すくなくとも、自衛隊が違憲であるとは言えない。

 

 

 

以上です。また、今般の安保関連法に関して追記してしまいました。